父のこと

父のこと

没後20周年につき、感じていたことを書き散らしてインターネットの海に放流したいと思いました。


私の父は、私が20歳になった直後に亡くなった。

もともと病気だったので長生きはしないだろうと言われてはいたが、あまりに突然、思っていたよりもずっと早くその日が来てしまった。事故とかではなかったのは心の救いだったように思う。原因が人為的なものだったら、誰かを恨んでしまっていたかもしれない。

 

あれからちょうど20年が経った。

数年は辛かったけれど、悲しみは薄れる。

 

ただ、恨みといえば、これだけは忘れられない。死の直後から数年ほど、夢に苦しめられた。

「死んでしまったのは夢で、実は生きていた。よかった!」という夢だ。

唯一、あの夢を恨んでいる。起きた瞬間はまだ幸せで、現実を思い出したときの絶望といったら。あの夢見せたやつマジ絶許。こういうのって身近な人を亡くしたあるあるなんじゃないかな。なかなか人に話すことじゃないから(私だってリアルな場でこの話できない)聞いたことがないんだけど、「わかる!!!」っていう話が聞けたらなぁ。マジあの夢最悪だよね!!!って言い合いたいなって思う。

 

後悔、といった気持ちはあまりない。

父の死によってUターン就職を決めたので、あのまま東京で就職していたら夫と子供には会えなかったし、いまこんな働き方もできてなかったし。

ただ、就職して仕事をするようになってから話をしたかったなと思う。思慮深く言葉の少ない人だった。こんな話とか、あまり私を子供扱いしていなかった気がする。あの人がなにを考えて生きていたのかをもっと聞き出したかった。

 

父の死は学生時代の出来事だったので、それがきっかけで、友人が親の離婚により父親がいないということを話してくれた。それまで知らなかった。

彼は、「自分の父への感情はよくわからない。愛されていたかわからないし。それでも、生きているから、会おうと思えば会えるから、マシなのかもしれないな」と言っていた。

私は、父は死んでしまったけれど、もらっていた愛には自覚があった。どちらがどうかなんて、くらべるような話じゃない。ただそのときは、いろんな人生の人がいるんだと思った。知識としては知っていたつもりだったけれど、改めて実感した。

でも、共通項は「現在、父親がいない」というただそれだけで、いきさつもその期間もなにもかもが違う。私には彼のこれまでの人生を想像することもできなかった。そのとき私達は20歳だった。親の有無なんて敢えて話すようなことじゃなかったんだろう。知らなかっただけで、きっとたくさんいたんだろう。

 

父が死んで10年以上経ったある日、Mr.Childrenの「花の匂い」という楽曲で、突然、本当に突然、号泣したことがある。

私はこどものころ、笑った顔が父に似ているとよく言われていた。そして、娘の笑った顔が私によく似ていると周囲から言われたりしていた。そんななか、あの曲をふと聞いて、あの歌詞にガツンと殴られてしまった。

昔とらわれていた苦しみが、長い時間をかけて、突然別の角度から強烈に救われることがある、という3月のライオンで見た表現だ。本当にあるんだ、と思った。

思えば、ライオンキングのミュージカルの曲もそう。父が、私の中に生きているって、娘の中に生きているって、思う瞬間がある。先人のことばってすごいな。そのときは響かなくても、突然に実感を伴って頭に響くときがある。

 

こじつけかもしれない。そう思うことで自分を慰めているのかもしれない。それでも、いま生きているのは私なんだし、私がそう思って胸を落ち着かせられるなら、それでいいんだと思う。

 

これはべつに父に向けて書いた文章ではない。どちらかというと自分のために書いた文だけれど、もしも届くなら、誰か親しい人を亡くした経験のある方に読んでもらえたらいいなと思っている。

公開日:2023/09/15

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