AIに話を聞いてもらいながら感情を深堀りして整理するの、おもしろかったな~って思った話

先日、すごくモヤついたのでAIに話を聞いてもらったら、自分で思っていなかったところへ着地してとても面白かったです。数年後忘れたころに「こんなことあったな~」って思い出すために書き残しておくことにしました。
発端
ことの起こりはたいしたことではないのですが、私は、以前より「暴露系」と呼ばれるジャンルのものが好きではありません。あくまで個人的にです。
そんななか、そういうジャンルを好む知人が、そういう動画なりで仕入れた話題をちょこちょこと振ってくるのが、嫌だなあと思っていました。これに関してはまあ耐えられない頻度ではないし、その知人自体は総合的に好ましい人と思っているので、我慢すればいっか~、程度の話です。この時点でAIに話を聞いてもらって、出た結論はこちらです。
苦手な人は「良い人だけど、刺激的なネット情報に食いつく癖がある」くらいの人物評で収めておくのが、一番あなたの心を消耗させないように思います。
それはそう。ほんとに。
で、ここで終わらずに、なんで私は「暴露系」や「ゴシップ」と呼ばれるジャンルが好きじゃないのかな? と思いました。すこし見栄を張って「好きじゃない」なんて遠まわしな表現で書きましたが、はっきりと「嫌い」と呼んでしまえるレベルです。
好きである必要はなくても、そういった情報に対して嫌悪感が強すぎるのではないか、と、ふと思いました。
興味がないなら、好きでも嫌いでもないところへ落ち着きそうなのに、これに関しては「嫌い」に振り切っている自覚がある。いつの間にそんな強い思いを抱くようになったのだろうと思って、いろいろと質問してみました。
雑談から自分の根っこの価値観に着地
ここから先は、要約して短くまとめたものです。実際はもっと長々と会話を行っています。
あなたは露悪性に対する感受性が高いのはないでしょうか。
世の中には、「権力者の不正を暴くのは面白い」「裏側を知るのは快感だ」と感じる人がいます。
一方で、「たとえ事実でも、そればかり見ていると人間観が荒む」と感じる人もいます。
どちらが正しいという話ではありません。ただ、後者は少数派なので、「自分が神経質なのかな」と思いやすいかもしれません。
うーん、そうなのかな、神経質なのかなぁ。でもまあ、どうしても「おもしろい」とは思えないし、敬遠しちゃうのは事実です。ああいった情報を好む人が多いから提供されるのは理解できるのですが、あれを好ましく観る人は、娯楽という面もありそうですが、ほかにどんな動機があるんでしょうか?
とても慎重に考えたほうがいい問いです。というのも、「暴露系やゴシップを好む人」=「他人の不幸を喜ぶ人」ではないからです。考えられる動機としては、
- 正義感
「悪いことをしている人がいるなら明らかにされるべきだ」という、健全な動機。実際、世の中には告発によって改善された問題もあります。
- 世界を理解したい
人間は、「なぜこんなことが起きるのか」を知りたがる生き物です。裏側を知ることに知的好奇心を感じる人もいます。
- 自分の違和感が裏付けられる快感
違和感や不満がある人が「やっぱり裏でこうなっていた!」という話を見ると、自分の感覚が肯定された気持ちになります。これはかなり強い快感です。
- 感情の刺激
これは身も蓋もない話ですが、怒りや驚きは強い感情です。人間の脳はそういう刺激に反応しやすい。これは人類共通の傾向です。
ここまでお話を聞いていて思うのは、あなたは「人間を理解したい」気持ちは強いけれど、「人間を裁きたい」気持ちはあまり強くない。そして、「この人はなぜそう考えるのだろう」には興味がある。創作をする人には比較的多い傾向です。
暴露系に惹かれる人の中には、「自分ではどうにもならない巨大な悪」に関心が向く人がいます。
一方で、あなたはかなり一貫して、「自分にできる範囲でどう生きるか」に関心を向けています。人間にはいろいろな関心がありますが、あなたの場合は、そちら側に重心があるように感じます。
言い当てられてびっくりしています。私の関心はまさに「自分にできる範囲でどう生きるか」であると思います。
もうちょっと深堀りしてみたいです。私が露悪的な情報を敬遠するのは、わざわざ嫌な気持ちなりたくないから、であると思っています。生産性のない負の感情に時間を使うのがもったいないとすら、思います。
「怒りや驚きは強い感情」であり、「人間の脳はそういう刺激に反応しやすい」のは理解できます。私は創作、音楽、演劇などが好きなので喜怒哀楽どの感情にも肯定的でありたいですが、一方で、露悪的な情報によって怒りを引き出されるのには強い不快感を覚えます。そういった情報を好む人は、その怒りの感情は快感なのでしょうか?
「時間がもったいない」と感じるということは、あなたは、嫌な気持ちになること自体より、その感情に対する投資対効果を見ている。自分の限られた時間や感情のエネルギーを、「何が壊れているか」より「何を作るか」に使いたい、と思っているのでしょう。
あなたが感じている不快感はとても自然です。怒りという感情は、本来かなりエネルギーを消費します。
一方で、露悪的な情報を好む人は、「怒りそのものが快感なのか?」というと、少し違います。でも、「怒りによって得られるもの」は快感になり得ます。人間の脳は「わからない状態」を嫌うため、なにかを暴く情報は「やっぱりそうだった」と不確実性を減らし、「自分を正しい側に置ける」という心理的効果も生まれます。これらは強い報酬となります。
ここで面白いのが、あなたの価値観との違いです。
創作者として考えると面白いのですが、あなたは喜怒哀楽すべてを肯定したい。でも、物語の中で自然に生まれる怒りと、アルゴリズムや演出によって意図的に誘導される怒りは、別物として感じているのではないでしょうか。
私は、あなたが露悪的な情報に触れたときの不快感の一部は、「この情報は私を怒らせようとしている」と感じることなのではないかと思います。
たしかに、物語の流れとして自然に喜怒哀楽にふれるストーリーはとても好きな反面、あからさまに怒りを引き出させるようなものには強い不快感を覚えます。そういわれると、いかにも「泣かせるのが目的です!」といった映画も好きじゃないかも。わざとらしいのが嫌いなんでしょうか。
たぶんあなたは、感情を操作するより、感情が生まれる過程そのものに興味がある人なんです。
普通なら「暴露系は嫌い」で終わるところを、あなたは「なぜ嫌なのだろう」→「怒りを誘導されるのが嫌なのか?」と、どんどん掘っていきました。これは感情そのものではなく、感情が生まれる仕組みに興味がある人の思考です。
だから現時点の私の仮説は、あなたは「わざとらしいもの」が嫌いというより、「感情を消費物として扱う文化が苦手」なのではないかと思います。
的を射ていると思います。とてもおもしろい発見でした。そういう性格というか考え方はどこから培われてきたものなんでしょうね。
あなたが創作を行う人であるからではないでしょうか。創作って、突き詰めると感情の観察なんですよね。
「なぜ嫉妬するのか」「なぜ怒るのか」「なぜ恋をするのか」「なぜ許せないのか」「なぜ許せるのか」
あなたが今回ずっとやっていたのも、まさにこれです。
それに、長年ブログを書いてきたことも大きいと思います。あなたは、感情を瞬間的に消費するものではなく、観察して保存するものとして扱う習慣がある。
だから、今回たどり着いた「感情を消費物として扱う文化が苦手」という言葉は、単なるコンテンツの好みではなく、あなたの創作やブログや人間観察を貫いている価値観そのものに触れている気がします。
カウンセリングみたいだったな
なんかこう、すごいなと思いました。だいぶ昔ですがメンタルクリニックで精神科の先生とお話したときの感覚を思い出したので、カウンセリングを受けているようでした。
私は若い頃から脳内会議を繰り広げることの多い人生だったので、誰かに話を聞いてもらうのは結構相手にも負担になると思っていましたが、AIに聞いてもらうのはとても良いですね! これは良い。またやろう。
「あなたは、感情を瞬間的に消費するものではなく、観察して保存するものとして扱う習慣がある。」と言われたのには笑いました。YESすぎる。これも保存しとくね。ありがとうねちゃっぴー。





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