大人と子供の違いについて長年考えて行き着いた答え

大人と子供の違いについて長年考えて行き着いた答え

「大人と子供の違いって何だと思う?」と、父に問われたことがあります。確か、中学生の頃。私が大人になる前に父は亡くなってしまったので、もはやその答えを聞くことはできません。そもそも、父の答えが正解というわけでもないでしょうが。その長年の問いに、自分なりの答えが出た気がしたので、それを文章にしてみたいという衝動で書きました。


きっかけ

こちらの記事を読ませて頂いて、何か、衝撃が走りました。今ならこのことを文字で表現できるような気がする! 忘れないうちに! という焦りににも似た衝動でした。結局、書き出してから公開までに1ヶ月以上かかってしまいましたがw

せっかくなので、父の命日に合わせて投稿することにしました。

亡き父の言葉

父は、子供の私にとってやたらと難しいことを言う人でした。しかも、問いかけについては答えを教えてくれない人でした。

これについては、こう言っていました。親が言った答えは子供にとっては紛れも無く“正解”で、それを聞いたら子供は安心してぐっすり眠れるのだと。でもその教えてあげた“正解”はその子の糧にはならない、記憶にも残らない。子供が眠れないくらい悩んでいても、答えを教えてあげてはいけない時があると。(今ならわかる気がするけど、当時はよくわかりませんでした)

その中のひとつが、冒頭の問いです。「大人と子供の違いって何だと思う?」の後、「年齢ばっかり高くたって、全然大人とは思えないやつもいるよなぁ」「何をすれば大人になるんだと思う?」と続きました。

当時の私は、答えられませんでした。そして、この問いが、未だに忘れられません。

身近に、“大人”だと思うひとはいた

私が学生時代に「同年代なのにどうしてこんなにもしっかりしているんだろう」と憧れた人が数名いました。当時は、「きっともともと持っている性格が違うんだ」とか「才能があるんだ」とか、そんな簡単な言葉で片付けて、勝手に羨んだり妬んだりしてたんです。

でも、その時は知らなかったことがありました。彼らはほぼ例外なく、幼少期に苦しい経験があったんです。それは、両親の離婚だったり、身近な人の死であったり、その人それぞれです。でも、辛い体験をして、それを自分のなかで、耕して、飲み込んで、腹の中に収めて、生きていたんです。そうせざるをえなかったという表現でも良いのかもしれません。

それを思えば、私は、オメデタイ頭をした子供でした。衣食住に困ることなく、両親に愛され、ぬくぬくと幸せに育ってきていたのです。私の両親が過保護だったという認識はありません。厳しい面もあったし、思春期にはどちらかというと放任主義で適度な距離感を保ってくれていました。でも、何事もなく幸せに生きてきた人間は、“大人”になるタイミングが遅くなるのかもな、なんて思います。

タイミングは人それぞれ

幼少期に苦難を経験していることが「良いこと」と言うつもりではありません。幸せに生きてくることができたことは何事にも代え難い財産です。自分をとりまく環境によって、“大人”になるタイミングも問題もバラバラなんだと思います。家庭環境かもしれません。スポーツや部活動で見出すモノかもしれません。ラクイシさんのように、ただひたすら自分自身と戦ったという方もいらっしゃいます。

自分が“大人”になった瞬間はあの時だな、という場面が私にはあります。父が亡くなった直後に病気で入院し、本気で自分の死を覚悟した後、世界観が変わりました。あれが、私にとってまさに一皮剥けたということなんだと思っています。

そのときのことを書いたことがあります。よろしければ。

ちなみに、夫に「自分が大人になったって自覚した瞬間ってある?」と聞いてみたら、「そんなこと考えたこともない」という答えが返ってきました。べつに小難しく理論づけようとしなくても、大人にはなれますよね。でも思うに、学生時代かなりスポーツに打ち込んできていたみたいなので、その辺りにカギがあると(勝手に)睨んでいますw

結局、“大人”ってなんなのか

働いて、自分でお金を稼いで、自分で生きて行けるようになること。これもひとつの答えだと思います。保険とか年金とか税金とか、そういうのをきちんと理解できてれば大人って気もします。(私、自信ないのでこの定義だと大人になれませんがw)

でももっと、精神的なもの。生きていく上で、誰にも頼れない、避けることのできない問題に直面したとき。それを、誰かへの依存なしに、自分の力で乗り越えられたか。結果が満足いくものではなかったとしても、自分の納得のいく形に落とし込めたか。そういうことなんじゃないかと思います。

追記:

  • Qu’est-ce qu’un adulte… ~大人とは~│Le Journal de Bonheurs おりびあ。の日記http://3belle2ame5aimer.blog.fc2.com/blog-entry-11.html

コメントをいただき、この話について言及してくださった記事を拝見して、なるほど、たしかにちょっと強いニュアンスで書いてしまったな、と思いました。

家族や、友人や、お医者さんや、周りの方に支えられたから頑張れた。筆者さんは更に、自分の言葉で言い換えてくださっています。

では、私なりに言い換えたらどうなるんだろう。
おそらく・・・、
「直面した壁ときちんと向き合ったかどうか」なんじゃないかな・・・?
「逃げない」ということ。
すべて自力でどうにかできなくても、乗り越えられなくても、
そこにそびえたつ壁を無視せず受け入れて、その環境で自分ができることを考えることができたときに、 人は「成長」するのではないでしょうか?

周りへの感謝と、自分の成長への実感と、両方含めたとても素敵な表現だと思います。人間は、決してひとりで生きているわけではないので、とても優しいニュアンスで言い換えていただいて、ほっこりしました。

加えて、わたしが書いた「誰かへの依存なしで」という言葉は、「誰にも助けられないで」ではなく、「誰かのせいにしないで」ということが書きたかったのだな、と思いました。「依存」という単語は不適切だと思いますので、ここで訂正させていただきます。

(私の)結論

人生(生死)について自分の中でとことん突き詰めて、それに自分なりの答えを見出した人間。噛み砕いてみると、自分の人生の責任を持つのは自分しかいないという覚悟が出来た人間。「最終的には自分だけで判断して、自分の力で生きていかなきゃいけない」っていう覚悟の有無というか。これが、私が行き着いた“大人”の定義です。

子供の頃に憧れた友人・知人達は、あの頃から既に“大人”でした。覚悟を持つのは、年齢関係ありません。だから、自分とは違う感じがしていたんだなと、今になって思います。

おわりに

文章にしてみると、こんなにも、簡単で、陳腐で、つまらないことなのかとちょっと愕然としますね。でも、私がラクイシさんの文章を読んで衝撃を受けたように、誰かの人生の、ちょっとしたバネのひとつにでもなれたら、光栄です。長々とありがとうございました。

追記:おすすめの本

検索などでたくさんの方に読んでいただいているようで、光栄です。ありがとうございます。ここに書かれていることは、あくまでわたし個人の考えですので、どうぞ気負わずに「こんなふうに考えている人もいるんだなー」程度に思っていただければ幸いです。

こちらの記事に辿り着く方の中には、「大人ってなんなのか」というところから、自分と周りの人間関係に悩みを抱えたり、自分の在り方を模索したりしている方が多いのではないかと思い、以前機会があって足を運んだメンタルクリニックの先生が貸してくれた本を紹介します。

自分はどんな人間なのか。いろんなタイプの人と円滑にやっていくには、どうするのが効果的なのか。自己分析だけにとどまらず「自分を理解しコントロールしていくには」というのにとても役立つ内容で、先生にこの本を返却した後、自分でも購入しました。出来ることなら、就職活動の前に読みたかったです!

先生は、人の管理をする方、たとえば企業の管理職の方や、経営に携わる方にもお勧めと仰っていました。会社にはあらゆるタイプの人がいますから、確かにこういうことを知識として持っていれば役立つのだろうな、と思います。

興味がおありでしたら読んでみてください(・ω・)ノ

公開日:2012/09/15
更新日:2015/01/26

22件のコメント

  1. ゆき より:

    大人とか子供ってなんなんだろうと、今深く考えてみました。でも深く考えれば考えるほどわからなくなって、調べてみたらあなたの記事がありました。よんでいると不意に涙がでてきました。
    まだ私は自分の力じゃなにもできない、生きていけないガキと思い知りました。これからそういう場面に直面すると考えたら怖くて逃げ出したくなります。でもこれから、そのような体験をしても、逃げ出さず、がんばって乗り越えていきたいです。ありがとうございました。

    • *you より:

      ゆきさん、コメントありがとうございます。

      きっと、まだお若い方なんでしょうね。これはわたしが子供の頃気づけなかったことを、大人になってから書いた文章ですが、ゆきさんの心に響くものがあって、とても嬉しいです。

      心配しなくても、その「場面」に直面するときがきたら不思議と頑張れますよ。でも、今のその「怖さ」もまた、とっても大事な感情なんだと思います。若いころにしか味わえない感情というものは、大人になってからの宝物になりますから、是非大事にしてくださいね。(年寄り臭いことを書いてすみませんw)

  2. おりびあ。 より:

    もう少しで「成人」になるものです。
    少し前に軽い精神の病気にかかり、回復しつつあります。生きることそのものに対して理由のない、しかしとてつもなく大きな恐怖や嫌悪感があった頃から比べると、大人になったのかもしれない、と思ったのですが、「大人って何だろう?」と思いいろいろなところを見ていたらここにたどり着きました。
    このような答えを出す人もいるのか、と、とても参考になりました。
    勝手ではありますが、少し自分のブログに引用させていただきたいと思います。
    完全に「大人」になれる自信はないですが、毎日の一瞬を精一杯生き抜くことのできる人間になりたいと思います。

    • *you より:

      おりびあ。さん、コメントありがとうございます。

      とても辛い体験をしたことと、お察しします。そんななか、わたしの書いた文章がひとつの参考になれたこと、光栄に思います。ブログも拝見し、とても優しい文章に嬉しく思いましたので、わたしの記事にも追記させていただきました。

      わたしは、この文章を書いたのが体験より10年近く経った後で、まっただ中にいた時よりもかなり俯瞰的に、当時のことを懐かしく思える心境で書いたので、まだ渦中にいるおりびあ。さんにはピンとこない部分もたくさんあったと思います。

      立場の違うわたしから見れば、おりびあ。さんはまだ実感が湧いていないだけで、十分ご自身の力で「乗り越えた」、あるいは「乗り越えかけている」ように思えますよ。(そもそも、「乗り越えた」というのは、それなりに時間が経ってからじゃないと実感できないものなのかもしれません。)

      まわりの暖かい方たちに支えられながらも、壁に立ち向かうことができたのは、間違いなくおりびあ。さん自身の力に他なりません。どんなに手を差し伸べてもらっても、その手を掴んで這い上がるのは、ご自身の勇気なのだと、わたしは思います。

      もう少し時間が経てば、「あの時があるから今の自分がある」と、この経験が自然と強い自信になる時が来ると思います。今よりももっと楽に捉えられる日がきっと来ますので、どうぞ気負わずにいてください。

      まわりの方への感謝を忘れないおりびあ。さんでしたら、きっと大丈夫ですよ。長々と書いてしまいすみません。ありがとうございました。

  3. しん より:

    ありがとうございます。私は長幼の序を重んじ行動していましたが、両親だけ素直になれない。この10年悩み苦しんでいます。世にあるまじき日々を過ごして居る。基本他力本願なんだろうなと解釈しています。

    • *you より:

      しんさん、こちらこそ、コメントありがとうございます。

      家族だからこそ、自分を育て、自分の価値観形成の大部分を担った人間だからこそ、他人とは違う特別な感情(良い方向であれ、悪い方向であれ)が強く現れるのは、決して不思議なことではないのだと思います。近しいからこそ、我慢できない、許し難い、そういう気持ちはわたしにも存在します。

      この記事で書いてみた「大人」という概念よりももっと、自分ひとりで解決するのが難しい問題じゃないのかな、とも思います。10年も苦しんでいらっしゃるのであれば、そしてそれが今後も辛いとお考えならば、専門機関にご自分のお気持ちを打ち明けてみるのもひとつの選択かもしれません。

      真面目な方ほど「精神科」というのはいろんな意味で重たく感じられると思いますが、みなさん他人に言わないだけで(自分から言うことではありませんしね)、メンタルクリニックへの足を運んだことのある方は驚くほど多いのだなと、ここ数年感じております。

      しんさんのお気持ちが、軽く、楽になれますよう、お祈りしております。

  4. まーこ より:

    もうすぐ21になるものです。
    自身が今だ自立できていないことに不安や孤独、焦りを感じていました。
    この記事を読んで、なんだかすっと楽になりました。
    自分の人生に責任を持つこと。
    それが大人なのかもしれませんね。

    • *you より:

      まーこさん、コメントありがとうございます。

      わたしがこのテーマで思い悩んでいたとき、まさに同じくらいの年齢で、当時と同年代の方に読んでいただけているなんて、なんだか嬉しく思います。

      大人の定義は人それぞれとは思いますが、それでも少しでも心に響くものがあったのであれば大変光栄です。

  5. より:

    完全にとおりすがりです。
    大人と子供の違い、

    自分の中で答えは出てるもののそれが正しいのかわからず、他の意見もみてみたかったので(笑)(笑)

    個人的には大人=感情に流されない、個性を殺して社会の歯車である事を受け入れて長いものに巻かれる。人を助ける前に損得勘定する。冷たいetc.

    自分とは真逆の位置にいる人達を大人と思ってます。

    大人になろうと努力してますが中々なれないでいます。。。。

    • *you より:

      翼さん、コメントありがとうございます。

      考え方はそれぞれですから、こういうものはご自分で導き出した答えや、自分の中でいちばんしっくりくるものを採用すればいいんじゃないかなと個人的には思っています。

      翼さんの大人の定義も、社会人になるとかなり共感できる感情ですよね。わたしも、もっと大人の対応しなくちゃ、って思うことが多々あります。

  6. 通りすがり より:

    私は、一時期まで*youさんと同じ考えでした。

    それから、個人的に色々あって、
    「自分と他人が違う人間であることを理解できること」という項目が追加されました。
    というか、この項目が自分の中の大人という言葉の一番にくるようになりました。

    • *you より:

      通りすがり さん、コメントありがとうございます。

      深いですね…!! その言葉の中の「理解」という単語に重みを感じます。確かに、頭で「理解しているつもり」であっても、多面的な意味で本当に「理解」するのは難しいことですよね。これは、わたしが記事中に書いたものよりもワンステップ上の定義に感じられます。

      自分の人生に責任と覚悟を持ったうえで、自分と他人が違うということを「理解」した言動ができる。ああ、尊敬する大人の形ですね…!

  7. せい より:

    大人は、世の中の理不尽に耐えることが、大人なんだといいます。たとえ正しくなくても、世の中そういうものだから、我慢しろと。どうしてもそれが嫌で、大人とは何なのか、考えていると、このサイトを見つけました。

    自分に起こった問題を、自分で解決すること。自分の力で、生きていく覚悟。それが大人になるための資質という内容に、はっとしました。結局世の中の理不尽に紛糾していたさっきの僕は、世の中理不尽だ!おかしい!正しくない!誰かどうにかしてくれ!と、何かにすがろうとしていただけでした。誰かに聞いてほしいだけでした。僕も、何不自由ない家庭で育ちました。

    世の中の理不尽よりも、この苛立ちこそ僕に起こった問題であり、その苛立ちと向き合い自分で解決することこそが、僕が1段階大人になるためのステップなんだと思いました。この記事で言うところの、耕して飲み込んで収めるということでしょうか。

    今は、今日の理不尽に、なんとなくやさしい気持ちで臨める気がします。人の考えに触れるということは、とっても救われますね。ありがとうございました。また、たくさん本を読もうと思いました。

    • *you より:

      せい さん、コメントありがとうございます。

      葛藤、自己分析、自分の気持ちにとても真摯に向き合っているのがうかがえて、そんなお気持ちにふれさせていただけて本当に光栄です。わたしも思春期には理不尽なことにおおいに紛糾しましたし、当時としては苦しかったものですが、そんな強いエネルギーを持つからこそ若者なのだなぁと、今はせいさんがとても輝かしく思えます。

      若々しい心の叫びも大事な過程だと思いますし、そういったもがくような想いのたけがロックミュージックなどで世界中で共感されているんですよね。みんな多かれ少なかれ、同じ気持ちを抱いているんだなぁと思います。

      とても繊細な時期に、わたしの書いた文章がなにかのとっかかりになれて幸いです。たくさんの人の考えにふれて多くのことを吸収されていかれること、応援しています。

  8. 名無し より:

    通りすがりです。
    私が依存している友人から大人になれとこっぴどく怒られてしまって、もう34(男)になってしまうオッサンですが、大人とは何なのか、とネットで見ている時、このサイトに流れ着きました。

    精神的な部分で「誰かへの依存なしに、自分の力で乗り越えられたか」との部分に対し、改めて考えると昔よりはマシになりましたが、依存を切られてしまうと感じた時、一人になってしまう不安から自分本位で行動してしまう事があり、いつも後で後悔してしまう。
    (若干ストーカーっぽくなってしまう事があります。。)

    こんな年で恥ずかしいですが、早く精神的に大人になりたいです。。。

    もっと自己を律して、他人を思いやれるように。

    • *you より:

      名無しさん、こんにちは。

      かなりナイーブなお話になるので、参考程度に聞いていただければと思うのですが、コメントを読んだ私の感想を書かせていただきますね。

      私は、人間は本質的には「孤独」なものだと思っています。本文中に「自分の人生の責任を持つのは自分しかいないという覚悟」と書きましたが「孤独を受け入れる覚悟」と言い換えてもらっても良いと思います。ですから、「一人になってしまう不安」は当たり前のことで、そこから逃れるんじゃなくて、むしろ、それを当たり前だと受け入れるのが大事だと思うんです。

      でも「自分以外の人は、たくさんの人に囲まれている」ような気がしますよね。隣の芝生は青いですからね。でも、みんな表に出さないだけで、自分の中の孤独感とどうにか折り合いをつけながら生きていると思うんです。少なくとも、私はそうです。結婚していても、夫と私は違う人間で別の人生ですから、自分の責任は自分で持ちます。

      「孤独」と書くとなんだかとても寂しい印象を受けてしまうかもしれませんが、「孤立」とは違います。決して「ひとりきりで生きろ」と言いたいのではなくて、「自分の人生は自分にしかどうにもできない」と自覚し、自分と他人の境界線をきっちり持つことができれば、他人との適切な距離感というものがわかると思うんです。依存心は他人への期待の現れなので、自分の人生を他人にどうにかしてもらおうと期待すると、自分も相手も、しんどいです。

      こういったことには自己肯定感が大きく関わってくるので、生い立ちとか自己形成の過程とか、かなり深くまで掘り下げないと難しいですが、今は本もたくさん出ていますし、勉強してみると(個人的には、こういうことは学問と同じだと思っています)、なんとなく感じている「生き辛さ」や「恐怖感」みたいなものを良い方向へ導ける可能性があると思います。水島広子先生の著者がおすすめです。

      こんなふうに書くと、なんだか私がものすごく強い人間みたいに思えるかもしれませんが、全然そんなことはないんですよ。泣いたり折れたりヘコんだりしながら毎日やっています。少しでも、何かのヒントになれれば、幸いです。

  9. ちはる より:

    「孤独を受け入れ、生きる」を頑張ってるところです。
    なかなか腑に落ちず、あんなにおしゃべりが大好きだったのに、最近は言葉が出てきません。
    言葉にならない感情が、涙になります。
    でも、それでもいい!先延ばしにしたくない!
    何かに依存せず、私は私に正直に生きたい!

    同じように考えてる人がいて、渾身のお話にふれて、じんわり暖かい気持ちです。肩の力が抜けたというか、今、ほっとしています。
    ありがとうございました。

    • *you より:

      ちはるさん、コメントありがとうございます。

      ちはるさんの文章から、とてもいま頑張ってらっしゃるのが痛いほど伝わります。「先延ばしにしたくない!」と、ご自分の人生に全力で向き合っている、なんて格好いいことでしょう。

      私が個人の思いを書き綴っただけの文章に、たくさんの方がご意見を寄せてくださって、その中から他の誰かがヒントをもらえるようなことが見つかったりして、私もとても嬉しいです。こちらこそ、ありがとうございます。

  10. THE happiest boy より:

    私は今年で19になりました。
    今までの人生嫌なことからずっと逃げて逃げて逃げてきました。それが許される環境で今まで生きてきました。私は恵まれ過ぎました。だから、自分に自信もなく、やりたいなともできず、ずっと家の中で引きこもりです。この記事を見て、新しい何かを成功するまでやってみようと思いました。続くかどうかはわかりませんですが、達成した時、何か新しいものが見えると信じてやろうと思います。

    • *you より:

      THE happiest boy さん、コメントありがとうございます。

      19歳! そのくらいの年齢のときって、一番多感で、子供と大人の狭間で焦りばっかり募って、精神面ではある意味辛い時期ですよね(私はそうだったもので)…。

      殻を破るのって、初動はめちゃめちゃエネルギーが必要でとてもしんどいと思うのですが、自転車みたいなもので、漕ぎ出してしまえばスーッといけたりすること多いんじゃないかなと思うんです。まだまだ、何をするにも時間はたくさんある年齢ですので、がむしゃらになんでもやってみるのって、いいと思います。がんばってください!

  11. がんちゃん より:

    いゃー考えさせられました。
    この事に関しては私も本当に深く考えた事ありますので感銘を受けました。
    兎に角人間が生きていく上での山と谷を自分の足で登り降りできることが大人ではないかななんて思います。

    • *you より:

      がんちゃん さん、コメントありがとうございます。

      「山と谷」を「自分の足で登り降り」! 素敵な表現ですね。だいぶ前に書いたものなのですが、同じテーマに悩んだ方のいろんな考えが聞けてとても嬉しいです。ありがとうございます!


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