2013
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私の中の常識という概念から人格までをも形成した、母という存在について

母の日なのでこんな記事を。先日、母と小さな喧嘩をしました。とても些細なことです。さっぱりしている人なので次に会ったときにはけろっとしていました。でも、私の心にはモヤモヤが残ったので、突き詰めてみました。


絶対的な存在

わたしは母を尊敬しています。

昔から、今もです。50歳で夫(私にとっては父)を亡くして、さぞ辛かったろうと思います。

とても強い人で、ネガティブ思考のわたしとはちょっと対極にある感じの人です。よく、母の友人に「あんたみたいなのからよくこんな娘が生まれたね」と言われるほどです。

もちろん内心では傷つくこともあるだろうし、ナイーブな面もあると思いますが、それを周りに悟らせないようにできる人です。そこも結構好きな部分です。

子供の頃は、私にとって母は無敵でした。母は間違ったことは言わないと思っていたし、思慮深かった父よりも、言葉数が多い母のほうが、たくさんいろんなことを知っていると思っていました。

高校生くらいになって、どうやら母の言っていることが全て正しいわけではないらしいぞ、という当たり前のことに気がつき始めます。誰だって全て正しい人なんかいません。ただ、母は完璧超人ではないんだなということに、薄々気がつき始めました。

それでも、母はずっと私のなかでは絶対的な存在でした。明らかに間違ったことは言わないし、礼節や基本的な常識など、たくさんの大切なことを知っていて、それを教わって生きてきました。母のような大人になれば間違いないものだと思っていました。

疑問

結婚して、今まで違う家庭で育った人と一緒に住むようになりました。これも当たり前のことですが、「常識」って各家庭で違うんですよね。わたしは、今まで自分が思ってきた「常識」というものは、母から形成されたものだということに気がつきました。

ここで私はようやく自覚します。わたしは、母に対して崇拝に近い気持ちを抱いていました。母は、過保護だとか子供の行動や選択を制限したり、支配するような人ではありませんでしたので、自発的なことと言えます。

わたしは、そんな母に「良い子」だと思われて、好かれていたかった。反抗的な態度(普通のことですが)もあった兄と違って、妹のわたしは、さぞ従順に見えたことでしょう。

わたしは自分で勝手に「自分よりも母が正しい」と思い込んできたので、大人になるまでほとんど母に異を唱えたことがありませんでした。今まで気がつかなかった原因のやっかいなところは、母は基本的に人格者で、良識のある人間(と私は思っている)なので、そうそう変なことを言わない、というところです。

絶対に正しいことなんて、ない

そんな私は、母がこぼす親戚や近所などのよくある愚痴や考えを、ふんふんと聞いて、なるほどね、そうなんだね、と言っていました。しかし、母が絶対ではないということに気がついてしまった現在、「それは違う」と思うことが多くなってしまったんです。

結果、(軽い)口論となります。今まで従順だった娘からの突然の反撃。母は戸惑うでしょう。そして言われたのが、「あなたにそんなこと言われるなんて悲しい」です。これは私の心をえぐりました。

書き出してみると、全然たいした言葉じゃないじゃないですよね、今まで従順にやってきすぎたツケだし。でもこれ、20年以上「良い子」をやってきた自分にとって、それは大ダメージでした。

今になって思うのですが、私、反抗期って無かったんです。中学生くらいで自分と親の人格の違いに悩むべきだったんだなー、きっとそれが反抗期というものなんだろうな。

母を悲しませたくない、嫌われたくない。過剰にそう思っている節があります。父を亡くしているせいもあるのかもしれません。でも、その気持ちに決別しなければいけないのだと思います。そもそも、ちょっとやそっとじゃ母が自分を嫌いにならない自信というか確信というものも、持ってはいるんです。あらこの子も言うようになったわね、てな程度です多分。それなのに、こんな気持ちになってしまう。

接し方を考える

母は、昔より視野が狭く、主観的にものを判断する傾向が出てきました。あと、意地になりやすくなったというか。加齢によるものなんだと思います。自分が大人になったぶん、親が年をとっていく。当たり前のことですが、なんだか辛いです。しっかりしていた母が少しずつ変わっていく。

真っ向から反論してはいけないのでしょうか。もう年もとってきてるし、諭して考えを矯正することも難しい気もしてきています。自分の中では違うと思っていても、そうだね、その通りだね、って聞いてあげればいいんでしょうか。今回の件だって、ただ愚痴を聞いて欲しかっただけみたいでした。

他人ならばそうやって聞いてあげられる気もします。でも、実母という存在だからなのか、妙に気に障ったり、我慢できずについ反論してしまったり…。あー、これって遅すぎる反抗期なのか…。

でも、母だって、自分の娘が自分と違う人格で、違う意見を持っている(これ、文章にするとなんて当たり前で陳腐なことなんだろう)なんてこと、分かってるんだ。あの人は、たぶん、子離れできている。問題は私なんだろうと思う。私が精神的に、親離れ出来てなかったんだなー。うわー、これ、自覚するとへこむなー。

今回、母に焦点を当てて書き出したのでこんな気持ち悪い感じになってしまいましたが、学生時代の友人や、夫や、会社の人や、ネットで出会った人や、尊敬する人はもちろんたーっくさんいて、その人たちももちろん、私の人格形成に影響を与えているのは言うまでもありません!

自分が母という立場になって

母という存在が、自分という人間にとって大きな存在であったことを再認識した今、私が娘に与える影響も大きいものなのだと思います。子供の精神を侵食してしまわないように、気をつけねばな…。(侵食という言葉で合ってるのか。そもそも私が母から侵食されていたというわけでもないとは思うのですが。むずかしい。)

わたしを育て上げてくれた母は偉大だし、尊敬している気持ちは変わりませんが、彼女を尊重しつつも、いつまでも子供じみた崇拝みたいな気持ちはばっさり切り捨てなければならないな、という想いに至った次第です。

関係ないことで締めますが

わたしのブログはいったいどの方向性に行っているのか。当初考えていたものと違う気がします。でも、想像以上に、感じたことを自分の中で整理して文章に書き出すという行為によって、ちょっと救われるというか気が楽になるというか、そういう面があるんだなと最近感じています。ものを書くなんてことを今までしたことがなかったので、こんなこと考えたこともありませんでした。

文章にしてみると、自分で思っていなかった核心に迫ることが多くあります。書いていて、「自分はそんなふうに思っていたのか」という事実に気がついてぞっとすることもしばしば。(今回の、母を崇拝していたという表現もそのひとつです。自分って、客観的に見てみると結構気持ち悪いものですね)

こんな私の独り言が、どなたかの琴線に触れるようなことがあればいいなぁなんて、そんなことを願っています。

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公開日:2013/05/12


4件のコメント

  • Tsubasa Oji
    2013年5月13日 11:59 AM

    いまの僕にとってものすごく考えさせる内容でした。
    僕も子供の頃は“いい子”を演じていました。反抗したい時もガマンしていましたので、youさんの気持ちはすごくよくわかります。
    カナダは今日が5/12、母の日でした。母の日にふさわしい記事をありがとうございました。

    • *you
      2013年5月13日 4:43 PM

      Tsubasaさんコメントありがとうございます。
      カナダでも母の日一緒なんですね!こんな私の独り言のような内容に共感して頂けてとても嬉しいです。親子と言えど、そこにも人間関係というものがあるもの(むしろ、親子だからこそ通常より難しいこともあるのかも)ですよね。

  • コン
    2013年5月13日 4:25 PM

    初めまして。
    このブログを読んで今の心境にそっくりな人がいて驚きました。
    私も、母が絶対に正しい!と信じて生きてきました。
    人付き合いが良く、冗談などを言っては人を笑わせる母でした。
    一方、良いことも言っていたし、極端な話、神様よりも母を信仰していたかもしれません。
    母に言われれば好きでもない異性に告白したこともあります(適齢期になった頃、“あんたにはあんな人が良いわよ”と言われました。ちなみに夫は私の意思だけで好きになった人です)
    母の何気ない一言が私の行動を左右していました。

    でも、結婚してみると、その家庭ごとに常識があることを知ったのです。
    自分の実家の常識が配偶者の実家の非常識だったりすることの連続で、最初の数年はびっくりしました。
    でも、生活に慣れてくると、今度は自分たちの夫婦の常識ができてきました。

    最近は父が亡くなり、母自身も年をとってきて愚痴ばかり言うようになりました。
    愚痴を聞いているこちらも疲れてきて、時々、気のない返事をしたり、途中で電話を切ったり、最近では最初から電話に出なかったりすると、非常に大きな罪の意識を感じます。
    また、ある時、母がトラブルに巻き込まれたことがあり、対処できることだったので解決方法を電話で助言したところ
    「私はただ、愚痴を娘に聞いて欲しかっただけなのに!!」
    と叫ばれたことがありました。
    その時、
    「そうか、お母さんは愚痴をこぼしたかっただけなのに、私は解決方法を教えるなんて余計なことをしてしまった」
    と反省(?)をしてしまったことがあります(結局、その時の問題は解決できました)

    私も、他人の言葉であればフンフンと聞き流すのでしょうけれど、自分の母親の言葉の一つ一つは過剰に反応してしまいます。
    頭にきたり、落ち込んだり、母の声を聞いただけでどっと疲れる日もあります。
    でも、そういう自分から脱しないと、つらいのは他でもない自分だと思うようになりました。

    • *you
      2013年5月13日 5:20 PM

      コンさん、コメントありがとうございます。
      私の心のモヤモヤを書き殴ったつもりでいましたが、本当に書いて良かったと思いました。こんなにも似ている方がいらっしゃるなんて。

      母は、加齢もあり、夫も亡くし、心細くなっていく一方なんじゃないかと思います。そんななか、娘である私には気兼ねなく心の中をさらけ出せるからこそ、ちょっと面倒な感じになってきちゃうんですよね。

      もちろん出来るだけのことはしてあげたいと思っていますが、あんまり下手に出過ぎてしまうと「この子には何も言ってもOK」なレベルがエスカレートして行ってしまう恐れがあるので、今のうちに適度な距離をつくっておかねばならないような気がします。

      悲しいことですが、加齢による変化で、「母は昔ほど話のわかる人ではなくなってしまった」という覚悟も、この先自分の中に必要なのかもしれません。そう思うことによって、おおらかな気持ちで話を聞いてあげられるようになるのかな、なんてことも思います。

      なんだか長々とすみません。自分が飲み込まれないように注意しながら、育ててもらった恩を上手に返していきたいですね。一緒に頑張りましょう!

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