“キレイゴト”を言って生きていきたい

“キレイゴト”を言って生きていきたい

子供を産んだせいなのか、それとも、単純にそういう年齢になってきたのか。最近妙に涙腺にぐっとくる事柄が増えてきているんです。大人になって涙もろくなるってこういうことなのかな。


優しいものが好きになってきた

この世には神も仏もない、と思っていた時期もあります。不公平なことばかりだし、綺麗事言ったってなんの解決にもならねーんだよ、とも。そんな、若くて多感な時期に大多数の人間が通るであろう道のど真ん中にいた時には、つまらなく感じた歌がたくさんありました。

例えば、ルイ・アームストロングのWhat a Wonderful World。子供にも分かるような単純な、ありふれた歌詞で、呆れるほど優しいあの歌。耳触りの良い優しいだけの言葉なんて心に響かないという時期も確かにありました。でも今この曲を聴くと、なんかもう泣けてしょうがないんです。なんて…すばらしい…せかい…。・゚・(ノД`)・゚・。

このように、過去に響かなかったものが今現在響きまくっている、ということが増えてきました。

もちろん当時聴いていた、強くて重たくて鋭い曲も、今でも好きなのは変わらないんですが、昔のように「そればかり」は聞けなくなってきたというか。(なんていうか「年とったらコッテリした肉料理あんま食えなくなってきちゃったんだよねー」感。)

幼児向けの歌も沁みる

娘と一緒にアンパンマンとか、プリキュアとかを観ていると、思わぬところで涙腺を刺激されます。

ああいう子供向けの歌詞ってよーく考えながら聴くとほんとうに凄い。小学生くらいのときに「愛と勇気だけとかwww」なんて言葉尻だけ捉えて面白がったこともあるように思うんですが、そんなんじゃねぇ。彼はそんなちっちぇ男じゃねぇ。

「悪意」の存在

インターネットが普及して、誰でも気軽に利用できるようになって、とても便利になりました。他業種のお話や、様々な地域の様々な立場の人の思想や体験談を読んだりするのはとても面白いし、気の合う人と巡り会えたりもします。

反面、「悪意」に触れる機会も増えたように思います。

可視化された悪意

昔から「悪意」はそこら中に存在はしていたんでしょうが、知る手段が限られていました。基本的には人づてで、せいぜい、友達の友達が悪口を言っていたらしいとか、同年代だったり、地域だったり一定の範囲が存在します。知り得ることの出来ないことは、(当たり前ですが)知らないままです。

でも今はインターネットという媒体を通して、自分に向けられたものだけでなく、誰かが誰かに向けた「悪意」まで、簡単に目に入ってきます。イラっとして吐いた独り言、友達同士で笑いながらの「ちょっとそれ言い過ぎw」みたいな軽口が全部ログとなって可視化されている時代です。

確かに今までも当たり前にあったことなのに、それは文字として目にするとものすごい攻撃力を持っています。しかも、今までは知り得なかった、年代も性別も違う、全然知らない人の(ネット特有の辛辣な表現の)「悪意」。やはりぞっとするものがあります。

また、悪意は悪意を呼びます。攻撃を受けたら、自分を守るために相手を攻撃するってことだって、きっとあるでしょう。考えてみればそれって動物の本能じゃないのかな。

悪意は、文化の一部

攻撃されるのが怖いチキンな私は、できるだけ角が立たないように、できるだけ誰が読んでも当たり障りのないように気を使ってブログを書いているつもりです。でも、そういうのって面白くないんですよね。

強い意見や意思ほど、それを読んだ人の心に干渉して、揺り動かす。議論が生まれて、盛り上がる。たくさんの人の意見があって、有意義なことだと思います。そして人が集まると自然と悪意が生まれる。注目を集めるために内容にわざと悪意をちらつかせるなんてテクニックもあるくらい。

事実無根の中傷のような悪意は置いといて、ぽろっと出た小さな悪意にはヒントが隠されていることもあります。ネット特有の、ストレートなキツい言い回しだからこそ気付かされることも。

「悪意」は、昔よりもずっと身近で、多様で、猛毒にも薬にも成り得るものな気がします。しかしながら、「悪意」は「好意」よりインパクトが強すぎる。たった1個の悪意は100個の好意をひっくり返して深く深く胸に刺さってしまいます。ここのバランス感覚が、現代のネット社会で生きていくために強化しなければいけないものだと思います。少なくとも、私は。

“キレイゴト”の魅力

言霊の力

3歳の娘に、幼児向けの歌を「おかあしゃん、うたって!」とせがまれることがよくあります。聞くだけでも胸を打たれる歌詞ですが、自分でその言葉を口に出した爆発力が半端ない。「言霊(ことだま)」とは良く言ったもので、うっかりすると泣きそうになってしまうほどに。

最近では、カラオケで本気出して、感情込めてプリキュアのOP、EDを歌ってみると、本当に元気が出ることを発見しました。「愛!」「希望!」「笑顔!」「元気!」みたいな、いかにもなワードが散りばめられた歌詞に、アップテンポでノリッノリのメロディー。しかも結構キーが高いから、気合を入れないと歌えない(歌ってるうちに気合を引き出される)という。

あぁーカラオケいきていなぁー_(:3 」∠)_

考えの変化

子供の頃から大好きなMr.Childrenの楽曲で、せっかくなのでこの場で猛烈に語りたい曲があります。

このアルバムに入っている、「風と星とメビウスの輪」という曲。愛と優しさで正の連鎖の上を歩いてゆけたら、という歌。

もっと若い時だったら、私はこの曲に対してさほど興味を示さなかったかもしれません。「そんな綺麗事…」と敬遠すらしたかもしれません。

でも今、本当にしみじみと、いいなぁ、と思うのです。

このような楽曲に対して考えが変化した理由を考えてみたんですが、子供だった頃は「口先だけの簡単なことで世界が変わるわけない」みたいに思っていたような気がします。でも、それなりに生きてきて、それなりの経験をしてきて、前述した悪意について考えたりもして、それが「簡単じゃない」(むしろ、途方も無く難しい)ことだと気づいてしまった、のかな。だから、「本当にそうだったらな」とか、「そうできたら素敵だな」とか憧れや願望も含めて、「いいなぁ」って思うようになったというか。

つまりは、年をとったということのなのかもしれません。

“キレイゴト”にも、自己責任

最後に、いつでも綺麗な心でとか、人を疑うなとか、そういう事が言いたいわけじゃないんですよ、という補足を。

やっぱり疑う心は無いといけません。詐欺に引っかかってしまうし、善意だからってデマを広めるのは許されることじゃないと思います。

情報収集して世間を良く見て、真偽を確かめて、自分なりの善悪で判断していかねばなりません。場合によっては戦うことだって必要な時もあるでしょう。

そういうのを全部ひっくるめた上で、「せめて表面上だけでも」綺麗事を言って生きていきたいなと、最近思う次第であります。

公開日:2013/09/04

2件のコメント

  1. たた より:

    すごく共感しました。/*コメント不快だったらすみません*/

    • *you より:

      たたさん、ありがとうございます!

      /* とんでもありません、嬉しいですー(*´ω`*) */


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